猫との共存について語ってみる。
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晴乃輔

Author:晴乃輔
4匹の猫を天国へ旅立たせ、4匹の老猫と今も暮らしている私の猫狂的生活


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はぐれ獣医純情派


ある本を注文した。
前からとても興味があった本である。

はぐれ獣医純情派

獣医の先生が書いているブログが本になったものである。このブログ、かなり面白い。そして役に立つ。時々覗いては「なるほどな~」とPCの前で頷いている。

この本を書いた「川野浩志」という獣医師さんが、我が家のモモやウメを診てくれた先生なのだ。本を出すような凄い有名人というわけではなく、たまたま先生が書いていたブログが注目され、本になった、ということらしい。でも本当に素晴らしい先生です。

モモもウメも命に関わる病気だったから、先生って面白い方なんですね~、なんてリアルに話をする機会などなかった。でも診察を受けていても、ブログを読んでいても、本当に動物が好きなんだな、という想いが伝わってくる。そして楽しいだけでなく、難しいこともわかりやすく面白い例えを使って説明してくれている。

今度は元気なニャンコを連れて、楽しくお話してみたいものである。届くのが楽しみだ。


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2008⁄02⁄15 04:00 カテゴリー:猫狂的生活 comment(2) trackback(0)
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大家族


一番賑やかだったのはやはりこの頃。我が家で生まれた子ニャンコたちがだんだんやんちゃになってきたとき。

PIC00005.jpg


右から紹介。
一番右は子育て放棄中のモモ。その隣、尻尾だけ見えているのがイチゴ、ふさふさのジョー叔父さん、まだ一歳半で成長途中の梅、ちまっと見えるのがスイカ、子猫たちより半年お兄さんのチェリオ、昔も今も大の仲良しのバナナとミカン。性格がよく出ている。出窓に乗せられた子猫はあぶなっかしいのにママは知らん顔。子猫ほったらかしでおくつろぎ。パパやおじちゃんたちはとても心配そう。モモは10日くらいで子育てをしなくなり、私が押さえつけて母乳を飲ませていた。限界が来るとおっぱいにぶら下がる猫を蹴飛ばしてどこかへ言ってしまう。いつもその様子を見守っていたのがチェリオさん。すぐにママ猫の位置に横になり、子猫たちに吸い付かせていた。子育てはチェリオがやってくれた、と言っても過言ではない。おっぱいの位置がはげになるほど頑張ってくれた。男の子なのに。

PIC00006.jpg


子猫たちが9ヶ月になるともう人間の居場所はなかった。ソファはいつも満員御礼。

今度は左から。
ジョーおじちゃん、やはりおくつろぎのモモ、スイカ、イチゴ、ミカン、すでに巨大猫の片鱗を見せるバナナ、お尻だけ写ってるチェリオ、毛色がやたら濃い梅太郎。ラグドールは巨大な種類の猫で、2~3年掛けてゆっくり成長する。期待通り9ヶ月でもバナナとスイカは大人の猫と変わらなかったし、梅もここからまだ一回り大きくなった。スイカはこの写真を撮った二週間後、病院で殺されてしまった。そのスイカの分もすくすくと育ち、バナナはもはや猫とは言えない大きさ。いつの間にかパパより大きくなってたんだね。







2008⁄02⁄07 02:16 カテゴリー:猫狂的生活 comment(2) trackback(0)
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鬼退治


梅は我が家の猫を次々と襲う、憎い鬼たちを連れて旅に出た。鬼が島に寄ってから虹の橋を渡るから、先生が3~4時間、と言っていたのに、23時間も掛かった。偉いね。よくがんばってくれたね。

リンの数値が下がり始めた、ここ最近で一番元気な姿を見せてくれた、でも痙攣が起きた。喜びたいけど喜べず、翌日無事に面会出来るのか心配で仕方がなかった。眠れないまま朝になって、午前7を過ぎた頃、一瞬うとうとしたようだ。枕もとの電話で飛び起きた。いつもは玄関に置きっぱなしの携帯を、この日は枕元に置いていた。予感があったのかもしれない。

顔だけ洗って10分後には病院にいた。駆け込むと他の先生が待っていてくれて、すぐに奥に案内された。K先生が梅に話しかけている声が聞こえた。痙攣が止まらず、目を見開いて身体をつっぱり、全身で最期の戦いをしている梅がいた。深夜に再び痙攣を起こしたが、処置をせずにおさまったらしい。でもすぐに大きな痙攣がやってきた。K先生は一晩中梅に付き添い、私が命のある梅に会えるように処置を続けてくれたらしい。頑張って家に帰ろう、と梅を励まし続けてくれたのだろう。

「こんな状態を見ているのは可哀相だと思います。でも梅ちゃんに今必要なのは、酸素でも薬でもなく、家に帰って家族のそばにいることです。後悔しないためにも、今すぐ梅ちゃんを家に連れて帰ってあげてください」

家を出る前に母からも連れて帰って来てあげて、と言われていたし、私もそのつもりだった。身体がつっぱり、キャリーに入れることも出来ない。先生がバスタオルに梅を乗せ、毛布にくるんで車の助手席に乗せてくれた。私はそんな状況のときなのに、何故かここ数日分の治療費を払ってないことが気になった。「入院の費用がまだ・・・」と言い掛けたとき「そんな心配はあとでいいんです。とにかく急いで!」

梅は無事家に帰ることが出来た。車から降ろし、待っていた母上に梅を渡した。車庫に入れて家に入ると、母上は泣きながら梅を抱っこしてあやしていた。「梅たん、初めて抱っこさせてくれたねー」ピクピクと痙攣している梅をしばらく抱いていた。そして私はおにーに連絡をした。私たちは仕事とそれぞれの実家の事情で、一緒には暮らしていない。だからおにーは通い状態である。この日はサーフィンに行く予定だったけど、あまりにも寒いからやめちゃった、と言っていた。おにーが来るまで頑張れるかわからなかったが、すぐに家を出るというおにーのために、梅を励まし続けた。

何度か大きな痙攣もあったが、梅は持ちこたえてくれた。おにーが玄関を入ってくる音がした。ドアを開けたおにーはもう泣いていた。いつもそうである。母上もおにーも、梅には懐いてもらえないから、このときばかりは、と撫で回していた。みんなが揃って梅は落ち着いてくれた。昏睡状態とはいえ、目を閉じてくーくーと寝息を立てて眠る梅は、何の苦しみもなく、とても幸せそうに見えた。私たちの気持ちもラクになり、みんなで梅を囲んでおにぎりを食べる余裕もあった。そんな時間が12時間続き、少しずつピクピクと弱い痙攣を起こし始めた。私はおにーに、今のうちに帰るように言った。翌日に用事があるため、帰らなければならなかったのだ。だから看取れないなら、苦しむ姿でなく、リラックスした姿を最期にして欲しかった。おにーが梅の顎を撫でると、顔を持ち上げ、気持ち良さそうにしてくれた。意識などとっくに無いはずなのに、顎だけは撫でると嬉しそうにすることが何度かあった。その姿を見ておにーは満足し、帰っていった。

日付が変わらなくても、梅は節分の日に旅立ったことにしよう、と決めていた。誰もがすぐに思い出せる日だ。でも本当に日付は変わり、徐々に痙攣が強くなった。いよいよ大きな痙攣が来た。歯をカチカチ鳴らし、鳴き声もあげた。でも持ちこたえた。3度の痙攣をまたもや乗り越え、梅はまた落ち着いてくれた。母上に少し休むように言って、私は梅にぴったりと寄り添い続けた。話しかけ、撫で続け、とても幸せな気持ちになった。午前5時を過ぎた頃、梅が三回鳴いた。私が良く知る梅の声だった。

「さよなら、って言ってくれたんだね」

私の言葉通り、梅は最期の戦いの準備を始めた。ごく弱い痙攣を繰り返した。触ることで刺激したくなかったから、痙攣のときにはあまり強く撫でないようにしていた。でも最期の戦いは梅の隣に横になって、左手で梅の頭を撫で、右手で身体をさすったり、軽くトントンと叩き続けた。普段、一緒に寝るときにやっていたことだ。梅は弱い痙攣を繰り返した。そして長い痙攣がやってきたが、ピクピクと身体を動かすくらいでおさまった。いよいよだ、という時になって初めて何度か頭を降り始めた。身体を起こし、梅から少しだけ離れた。もう止めないよ、もう逝っていいよ、あとは一人で頑張るんだよ、と声を掛けた。

最期の数時間は私一人で梅に寄り添った。梅も喜んでくれた。だから最期の戦いの痙攣は弱いもので済んで、梅はあまり苦しまずに逝かれた。私はそう信じている。飼い主が自分の都合よく考えても梅は怒らないだろう。だからそう信じている。みんなのいる虹の橋で、今頃はご飯をたくさん食べているだろう。長い戦いを覚悟したのに、それは13日で終わってしまった。自分の生活環境の中で、どうやって梅の治療を続けていくのか、毎日のように悩んでいた。梅は私をラクにしたかったのかな。

さすがに一年で3匹を見送ると、家の中が涼しい。モモがいなくなった家に慣れた頃に、イチゴがいなくなって、その空間に慣れないまま梅がいなくなった。全員年寄りなのだから、と思っていてもさすがにダメージは強い。

私が24歳のとき、我が家は事故が多発した。私が通勤途中、駅の階段で突き飛ばされて複雑骨折、父がゴルフ場でボールを頭に受けて倒れる、妹がスキー場で初心者に体当たりされて怪我、母上がバイクと接触事故、私が買った初めての新車、骨折中で運転出来ない私の代わりにおにーが運転したが、納車になったその日にトラックに突っ込まれた。そして兄が交通事故に巻き込まれて亡くなった。これだけのことが二ヶ月と少しの間に起きて、兄のお葬式のときにお坊さんとその話をした。「仏様に災難を持って行ってもらいましょう」と、お坊さんが人の形をした人形を棺に入れるように言った。不幸や災難をその人形に背負ってもらい、兄に持っていてもらう、ということらしい。その効果なのかどうかはわからないが、事故続きだった我が家は平和に戻った。

そのことを思い出し、家の中を見回すと、テレビの上に木彫りの猫の置物があった。私は梅にお願いして、その猫の置物を一緒に持って行ってもらった。これでしばらくの間は、我が家の猫に病気が襲い掛かることはないかもしれない。だがそれ以前に、春になったら今の猫たちを順番に病院へ連れて行き、血液検査を受けてもらう。老猫が4匹いたら、あと1~2匹は腎不全になっている可能性は高い。症状が出る前に見つければ、やってあげられることは梅のときよりも多い。梅に学んだことだ。

梅を見送り、他の猫に報告してカーテンを開けると雪景色。節分の朝、真っ白な雪景色の中を旅立っていった。印象的な旅立ちをしてくれた梅に感謝しよう。応援してくれた人、常に私を前向きにしようと努力してくれた病院の先生、梅を私の元に返してくれたK先生、一緒に最期を戦ってくれた家族、みんなに感謝。

梅ちゃん、なんか疲れちゃったよ。おねーも少しゆっくり休むけど、梅は許してくれるね。おねーがいないと生きていかれないんじゃないの?というくらい、おねーが大好きだった梅も、最期は立派に旅に出られたね。でも次に会えたときには元の甘ったれの梅たんに戻ってくれていいんだよ。それまで待ってておくれ。







2008⁄02⁄04 02:13 カテゴリー:梅さんは行く comment(3) trackback(0)
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退院


梅さんが退院してきた。
お帰り~。

家に帰っても緊張状態。
一時間ほどでようやく落ち着いた。
それからかなり長い時間、ぐっすり休んだ。

空腹の限界か?!

梅さんは美味しいご飯をたくさん食べるため、
元気に虹の橋を渡って行きました。

先生にはあと3~4時間、と言われたのに、
梅は23時間も頑張ってくれた。
ずーっと一緒にいられて幸せだった。
よく頑張りました。
ゆっくりお休みなさいね。

とりあえずご報告。
梅と一緒に少し休みます。





2008⁄02⁄03 07:00 カテゴリー:梅さんは行く comment(2) trackback(0)
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闘病生活も楽しむべし


梅の闘病生活が始まって、いったい一万円札が何枚消えて行ったのだろうか。でもあまり考えないことにしている。やりたいことはなんでもやる。出来るうちはそれでいい。

猫用の雑貨は人間のお古や安物で済ませていた。色も形もばらばらである。梅さんの毛布を新調するとき、ソファが全部隠せるように大判の毛布も一緒に買った。2人掛け、3人掛けとハチャメチャだったソファが、おそろいの毛布でお洒落になった。色も家具に合う色にしたらなんとなく楽しくなった。

梅さんの口の周りをふくためにタオルがテーブルに置いてあるが、それもブルーにしてみた。猫用のタオルは雑巾になる前のタオルだったが、安いけどもっと小奇麗で色も部屋に合うようにしたら楽しくなった。

身体がだるいだろう、と水を飲む位置を工夫して高くしてみた。梅はとても楽そうだったし、他の猫にも好評で、今日は足つきの水入れとカリカリ入れを新調した。缶詰を食べるお皿も全員分、猫用に作られたものにしてみた。なんとなく猫も喜んでいるように思えた。梅には特別お洒落な餌入れを買ってある。トレーやマットも買い揃えよう。

私の留守中、バナナはケージ暮らしである。尿路結石があるからカリカリが出ている日中はみんなと一緒にいられない。巨大な3階建てケージを贅沢に使っているが、それでもやはり我慢している。よってバナナのご飯入れも特別なヤツにした。

モモとイチゴが愛用していたアスレチックも今は誰も使わない。父上の形見とも言える手作り猫ハウスも今は空っぽ。邪魔者は処分して仕舞ってあるモモゴンのケージを組み立ててやろう。ゆっくり休ませたい子がいるときや、掃除機嫌いの梅が非難するのに使える。

楽しくなってきた。どうせなら闘病生活も楽しまなくちゃ。





2008⁄02⁄02 03:24 カテゴリー:猫狂的生活 comment(1) trackback(0)
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びっくりした


当然のことだけど、今日も梅に会いに行った。何度か診察してくれていたI先生が付き添ってくれた。ケージを覗くと、今日ははっきりと私を見ていた。

「朝から機嫌良さそうで、昨日は全く無視だったのに今日は顔を見せてくれる」

と言われてほっとした。蹲っていただけの昨日と違い、身体を起こしておくつろぎの様子。そして一声、な~!と言った。名前を呼ぶと答える。顔つきも今日はあきらかにしっかりしていた。とても嬉しくなり、声を掛けるともぞもぞと動いて出せ!と言ってきた。ご飯はまだ食べない。今日は強制給仕で戻してしまったらしい。でも顔つきも手触りも違った。私が喜んでいるとK先生がやってきて、検査の状況を説明し始めた。ああ、梅の主治医になってくれたんだ、とこれまた嬉しくなった。この先生との出会いがこの病院を掛かりつけにした理由だ。

「BUNもクレアチニンもまだ計測不能です。でも・・・でもですね、リンの数値は少し下がってきたんですよ。これは点滴の成果だと思います」

身体がふっくらした感触も、気のせいではなさそうだった。顔つきがしっかりしているのも今日はあきらかだった。ケージを開けてもらって梅に触っていると、今度はケージから脱走して来ようとした。泣き声も大きい。

「帰る。ねーちゃんと家に帰るぞ」

力強くそう訴える梅に心からほっとした。だが、その直後、梅の足がピクピクと動き始めた。バタバタと暴れるようなものではないが、痙攣だ。私は途端に震えが来た。別の先生がすぐに注射を持ってきたが、K先生が待ったを掛けた。先生が声を掛けながら梅を横にするとすぐに収まった。モモやイチゴが最期に見せたような痙攣とは違ったが、でも怖かった。

先生は点滴も入れているし、神経質な上に興奮状態だったからだと思う、と言った。この痙攣が頻繁に起きるものなのか、たまたま起きたものなのかがわからないが、まだこれに対しての治療を始める段階ではないと思う、と言った。ただでさえ偉い目にあっているのだから、今は念のために、と薬や注射を増やすのは辞めたいのですが、と言われて私は頷いた。30分ほど待合室で待機し、再び先生と話をした。梅はまた元気な姿を見せてくれるのだろうか、と不安になるが、あきらめる段階ではありません、と何度も言われると、信じようという気持ちになる。もう一度梅にあわせてもらった。完全に後ろ向き。名前を呼ぶと尻尾と耳が少し動く。

「連れて帰ってくれないからびっくりして痙攣したじゃないか。おねー、嫌い!」

拗ねている様子が可愛かった。でもその後姿も家にいたときの弱々しい姿ではなかった。痙攣させ見なければ今日は大喜びでブログを書いていただろう。それくらい今日の梅は様子が違って見えた。不安材料は増えてしまったが、頑張ろう、と思う。ひとつ救われたのは、痙攣を起こしているときのK先生の様子だった。

「どうしたー?梅ちゃん、大丈夫だぞー。怖くないよー」

とやさしく声を掛けながら対応してくれた。もう一人の先生と、すぐに飛んできた看護師さん、そして私は慌てていたが、先生だけは落ち着いて梅を驚かさないように静かに優しく接してくれた。こういうときは少しの物音でもびっくりしちゃいますから、と後になって言ってくれたが、動物に対する愛情が伝わってくるK先生らしい対応だった。

明日は家で食べている缶詰を持っていく。家のご飯、私があげてる、なのに食べない、そうなると私にしてあげられることはなに?と思ってしまうかもしれない。でもきっと梅は私を待っていてくれるから、張り切って会いに行こう。





2008⁄02⁄02 02:53 カテゴリー:梅さんは行く comment(0) trackback(0)
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面会


梅さんに面会してきた。そう、面会である。可哀相だがこのまま数日入院させっぱなしにしよう、と決めた。

うーめ!と明るく声を掛けても知らん顔。うーめたん!と呼びながら撫でても無視。うりゃー!と顔をぐりぐりしたら、もんの凄い仏頂面。静かに怒っている時の梅の顔だった。まだ食べようとはしないが、顔つきは変わってきたと思うんですけど、と先生に言われた。確かに「うー、だるい・・・」という顔ではなかったかも。身体を撫でると干からびてしまったような感じだった背中が、いつもよりしっとりとしている気がした。

「どうしますか?連れて帰りますか?」と、先生。

いやー、入れてしまったら腹が据わった。連れて帰ってもまた明日連れてくる、そして離れ離れ、の繰り返しのほうがもっとストレス溜まりそうだから、このまま梅には頑張ってもらおうと思った。病院に置きっぱにされる、家に帰れば飯くえーっておねーがうるさい、他の猫は「お前誰だっけ?なんか病院臭くね?」って凄む、これはこれでとってもストレスだ。だったらメリットのあるストレスを、と数日間の入院を決意。

「正解だと思います。そのほうが効果も出やすいと思いますよ」

先生も良い選択だと言ってくれた。無視されても梅をぐりぐり撫でると、口の周りにかぴかぴご飯。私には今はまだやらないように、と言っていたが、ここは病院。無理矢理食べさせてくれたらしい。やったほうがいいのかも、と思っても出来なかったことだから私にとってはこれも入院させたメリットになる。

かなりご立腹でちっとも目を合わせてくれなかったけど、じゃあね!と言って立ち上がるとくりっと頭を私に向けてくれた。あー、誰が来たかくらいはわかってくれてるね、と安心した。明日も行くから頑張っててておくれ。

梅さんは私のことがとても好きである。初めて会ったその日から、梅さんは私のパジャマの中にもぐりこみ、脇の下に挟まって寝ていた。日中、私が動き回るときには、私のパーカーのポケットに入って過ごしていた。私が立ち上がろうとすると自分から入ってくる。こーんなに人懐こい子だから誰に見せても喜ぶ、と実家の家族とご対面。

「うわー、ハンサム君だねー」(by妹)→ストレスによる下痢
「あらー、可愛いねー」(by母)→立て続けの下痢
「どれどれ、こっち来てごらん」(by父)→しゃーっ!と凄んで暴れる

実家全滅。何故???

「梅太郎ってどこにいるの?」(おにー)
「家のどこかにはいるんだけど・・・」(おねー)
「あ、尻尾が見えた・・・」(おにー)

隔週でしか帰ってこない我が家の家人、おにーは数ヶ月の間、梅には会えなかった。梅さんは私以外の人間に懐かないまますくすくと育ち、見事な体格に誰もがぜひ一度お目に掛かりたい、と言うが、その姿さえ見るのは難しい。姿をくらますのに飽きると、背後から忍び寄って攻撃までする。だから誰もが恐れている。未だに梅を抱っこしたことがある人間は私しかいない。寝るときは私に抱きついて寝る。甘えたくなるとトイレについてきて、膝にあがり込んで何やら話しかけてくる。こんなに甘ったれでお喋りな子なのに、誰も信じてくれない。


母上と一緒に暮らすようになり、夕飯は母上が上げてくれることが多いのだが、梅さんは最初は姿をくらまして食べに来なかった。今は食べてくれるからすっかり母には慣れたものと思い込んでいたが、本日母上に言われた。

「ご飯置くまで少し離れたところで睨んでるし、あんたの代わりに掃除するときだって、少し近づいただけで唸るから怖い。まだ一度も触ったことないのよ」

ありゃー。知らなかった。梅たん、そんなことじゃ困るよ。この先何年も君は病院が必要だ。どうしてもおねーが行かれないときはおかーさんと一緒に行ってもらおうって思ってたのに。退院したら少し母上にも慣れてもらわなくちゃ。でもそれもまたストレスか・・・。まだ病院のほうが機嫌良さそうなのは猫かぶっているだけなのか?

おねー大好きは嬉しいけど、もうおじーちゃんなんだからもう少し社交的になろうよ。





2008⁄02⁄01 01:24 カテゴリー:桃色日記 comment(0) trackback(0)
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